インターネットは、なぜニュースに向かないのか。そして、どこに打ち手があるのか
Nieman Labのマット・ピアース氏が2026年5月に書いた論考に、こんな問いかけがあります。「もし、世の中の人が正しい情報を手に入れられないようにしてやろうと企む独裁者がいたら、その人が作るインターネットは、いま私たちが毎日見ている画面とそっくりになるだろう(If there were a dictator of the internet who intentionally set out to destroy your ability to get accurate information, the result would look a lot like what’s already on your screen.)」。
刺激的な書き出しですが、彼の狙いは絶望を語ることではありません。「人はいつも合理的に動くわけではない」という人間のそもそもの特性、行動経済学の視点から、いまのインターネットとニュースの関係を解きほぐし、どこに手を打てるのかを探っていく、そういう論考です。
私たちキメラは、読者がどう記事に触れているかを記録するデータ(Chartbeatなど)を扱う立場から、この問いを自分ごととして読みました。以下、内容を整理しながら、メディアに関わる人が次の一手を考えるためのヒントを拾っていきます。
壊れる側だけが、先に進んでいる
まず、いま起きていることの整理から。
ふつう、古い産業が壊れるときは、その裏で新しい産業が育ち、失われたものを埋め合わせます。経済学では、これを「古いものが壊れて、新しいものが生まれる循環」と呼びます。
ところがニュースの世界では、この循環が片側しか回っていません。昔ながらの新聞やテレビが独自の取材を減らしていく一方で、新しいネットメディアの成長が、それをまだ埋めきれていない。壊れる側が先に進み、生まれる側が追いついていない状態です。
ここで大事なのは、これを「終わりの話」として読まないことです。循環の片側が止まっているなら、もう片側である、新しく価値を生む側をどう設計するか、という問いが立ちます。ここでの論考も、最終的にはそこへ向かっていきます。
ニュースが消えた町で、何が起きるか
とりわけ目を向けたいのが、地域のニュースが消えた町です。そこでは、住民が孤独を感じやすくなり、自分の町の政治家が何をしているか分からなくなり、不正も増える、そうした傾向が数字で確認されています。
ニュースが無くなったこと自体は、目に見えません。けれど私たちは、その分のツケを知らないうちに払っている。ピアースはこれを「見えない税金」と呼びます。孤立という形で、町の不正を見過ごすという形で、ときには文字どおりお金の面でも、私たちはこの税金を払っている、と。
裏を返せば、地域に正確な情報が流れているだけで、その町は孤立や不正というコストを払わずに済む、ということでもあります。地域メディアの価値を「あったらいいもの」ではなく「無いと町が損をするもの」として語り直せる。この見方は、地域でメディアを営む側にとって、けっこう力強い足場になります。
人は、そもそもニュースを探していない
では、なぜニュースは届きにくいのか。ここで効いてくるのが、人間の脳のクセです。
人の脳には、パッと反応する「直感モード」と、じっくり考える「熟考モード」の2つがあります。そして熟考モードは、とても怠け者です。ネット上のコンテンツは、この直感モードに合わせて作られています。プラットフォームが、あなたが次に何をするかを見抜くためのデータを集め続けているからです。
一方で、ニュースを正しく読み解くには、面倒な熟考モードをわざわざ働かせなければいけません。しかも多くの人は、そもそも自分からニュースを探しに行かない。ある調査では、回答者がこう答えています。「最近は、ニュースのほうから勝手にやってくる」。
プラットフォームは「いかに長く見てもらうか、いかに多くクリックしてもらうか」を最優先に設計されています。ニュースを読むという行為は、この仕組みと、そもそもかみ合いにくい。
ただ、これは「人間が悪い」「ネットが悪い」という話ではありません。人にそういうクセがあると分かっているなら、そのクセに逆らわず、うまく付き合う設計ができるはずだ。論考はここから、解決の話に入っていきます。
「そっと後押しする」という設計
ピアース氏が手がかりにするのが「ナッジ」という考え方です。人の自由を奪わずに、ちょっとした工夫で、良い選択へとそっと後押しするやり方を指します。
じつは昔の新聞やテレビは、これを自然にやっていました。一面のトップや番組の冒頭に何を置くか、それは「いちばん面白いネタ」だからではなく、「町の人がいちばん知っておくべきこと」だから、目立つ場所に置いていた。受け手が探さなくても、大事なことが目に入るようになっていたのです。
いまのインターネットは、この「大事なニュースをそっと差し出す」やり方を、ほとんど手放してしまいました。でも、裏を返せば、ここには手つかずの打ち手が残っているということでもあります。たとえば、
- 質の高いニュースを、見つけやすい場所に置き直す
- 良い記事に触れた人が、寄付や購読へ迷わず進めるよう、その場で導線を用意する
- 受け手に「次に読むといいもの」をそっと示す
こうした小さな設計の積み重ねが、「探さない人」にもニュースを届ける現実的な方法になります。派手な技術革新ではなく、受け手のクセを前提にした地道な工夫、ここにこそ小さなヒントがあります。
受け取る側を、助ける
最後に、論考のいちばん大事な視点を。
ニュースを良くしようとする取り組みは、これまで主に「正確な情報を作る側」を支えることに向いてきました。それも欠かせません。けれどピアース氏は、それと同じくらい、選択肢が多すぎて疲れ果て、情報の沼に溺れかけている「受け取る側」を助ける工夫が要る、と言います。
正確な情報を探そうとする私たちに、いまのデジタル経済は、重たい「見えない税金」を課している。だとすれば、打ち手の方向ははっきりしています。受け手が払うこの「探す手間」を、どうやって軽くしてあげられるか。ニュースを作る努力と、ニュースを受け取りやすくする工夫は、車の両輪なのです。
私たちに課された課題
日本でも、地方紙の休刊や縮小が相次いでいます。広告で稼ぐモデルが崩れ、有料の電子購読への切り替えも期待通りに進んでいない。この論考が描く構図は、日本の地域メディアが向き合っている状況と、そのまま重なります。
ただ、この記事を読み終えて残るのは、絶望ではありません。「人は合理的に動かない」「人はニュースを探さない」この当たり前を出発点に置けば、打つべき手はむしろ具体的に見えてきます。どこに、どんなニュースを、どう差し出すか。受け手の手間を、どこでどう軽くするか。
読者がどう記事に触れているかを記録するデータは、この問いに具体的に答えるための土台になります。「どうすれば人がニュースを読むようになるのか」を、勘ではなく、観察から考える。私たちが向き合っているのは、たぶんそういう課題です。
出典:Matt Pearce, "You couldn't create a more anti-news internet if you tried," Nieman Lab, 2026年5月26日
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